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「はぁ……っ、はぁぁ……」

──大切な人たちを守ったことに悔いはない──

「……っ、くそ……」

──それでもやっぱり──

「………っ、……」

──したくない“後悔”を、したくなる──

“ウェルダーウィッチ”または“魔女の森”……
そう呼ばれている、光が差さないほどの鬱蒼と生い茂る闇のような森で、冷たい雨が木々を揺らす。

傷付いた身体、己でも自覚しているボロボロの精神状態……
“彼”は自身の体力に限界を感じながらも、覚束無い足で目的なく雨に濡れる森を彷徨っていた。

「(あぁ、……また……、くる……)」

もはや恐れるほどに侵されてしまった呪いに、今日が最期かと流石に腹を括った……
決まった時間、決まった長さで、自分の心臓が死ぬよりも辛い激痛に襲われる呪い……

“魔女喰いの呪い”

……13人分の魔女の心臓を喰らわねばこの呪いが解けることは無く、決まって夜、月が1番高く登る時間帯に心臓が握り潰される程の激痛が走る。
それは時に吐くほどに。時に視界が暗転するほどに。時に指一本すら動かせないほどに。
まるで拷問のようだった。
泣こうが喚こうが、おおよそ1時間と続く永遠とも思える地獄が、毎晩続くのだ……

それを彼は、1年も前から耐え続けていた。
大切な人たちとの約束を果たすためだけに。
何としても、呪いを解いて生きなくてはならなかったから……
だが、今日は、……流石に耐えられない。と、彼は感じた。

「……っ!…………グァッ……カッ………ハァッッッ!!」

傷付き、冷たい雨に体力を奪われていた彼を、呪いはあっという間に地面へと縫い付けた。
もがき苦しみ、雨に溶けた泥を握り締めても苦しさは変わらない。
歯を噛み砕かんとする程に食いしばっても、痛みは収まらない。
……やがて彼はそこに力尽きたように、痛みに抵抗するの諦めた。

 

「……、……?」

雨に濡れた土が心地よいと思うほどに痛みが収まった頃だった。
また生きながらえたか、と自分のしぶとさに悪運を感じつつも、
どうせなら死んだ方が楽だった、と悲観する自分に嫌気がさす。

いつの間にか気を失っていたのだろうと考えに至った彼の耳に、随分と陽気な鼻歌が聞こえてきたのはそんな時だった。
重い瞼を開けて、懸命にピントを合わせれば誰かがこちらに近づいて来ている……

「〜♪」
「………、………」

警戒しようにも未だに心臓の痛みは取れず、体力もとうの昔に底をついていて動けない。
彼は辛うじて動く首だけを動かし、近づいてくる人物にゆっくりと目を向けた……

「……!……あら?やっぱりね……
死霊が騒がしいと思ったら、こんな真夜中に……
いやねぇ、可哀想に……死んじゃってる?」

能天気、と言った言葉が非常に良く当てはまるだろう。
地面に突っ伏している彼に合わせるように、スっとしゃがみ込んだ“女”の顔が視界に映った。
ニコニコと笑うその女は何故か素足で、雨だと言うのに随分と軽装だ。
明らかに異質な気配を感じるその女が“魔女”だと思うのに、そう時間はかからなかった。

「……っ、だれ、だ……」
「あら!まだ生きていたのね♡
…………辛うじて、かしら?ボロボロじゃない……
せっかくのプラチナヘアーも泥まみれねぇ……
私、本物の獣人種って初めて見たわ♡白ライオンかしら?」

女がしゃがみこんでツンツンと、獣人種特有の耳を突かれているのは分かる。
何とか体を起こそうと、無い力を絞り出すように、手を握りしめた。

「……ア、ンタ……魔女、……か……?」
「ええそうよ子猫ちゃん♡
私はこの近所に住んでいる魔女よ?あなたは?」
「魔女……そう、か……魔女……」
「……あなた……」

手と腕に力を入れ、僅かに上半身を持ち上げる。
ああ、……終わる……最後だ、これで……

「……ふ、…………はは……
……ようやく、あと一人……見つけた……
アンタを、喰えば、……この呪いは解ける……
ようやく……ようやく、ここまで、、来たんだ……
ここで死んで……たまる、か、……っ、……」
「!……あらあら、やっぱり貴方そういう……
そう、そういうことなの……」

殺意を向ける白獅子の彼に対して、特に変わることなく女はしゃがみ込んだまま呟いた。
彼と視線を合わせようしていた女は、何か思い当たる節があるかのように考え込むが、やがて困ったように眉尻を下げて口を開く。

「でも貴方……もう虫の息じゃない。
それで私を殺せると思っているの……?
……その状態で?」
「…………っ、」
「本当に、哀れな子……
生きるために地獄を見るなんて……」

上半身を起こすことすら辛そうな彼に、魔女は憐れむような言葉を投げかけた。
そうしてやがて、女はまるでいいことを思い付いた!とでも言わんばかりに笑顔を浮かべて頬杖をつき、首を傾げた。

「……ふふっ。そうねぇ……
ねぇあなた、そんなに生きたいのなら、取引しましょう?」
「…………は、……?」
「ボロボロになった子猫ちゃんを私が拾って、生かしてあげる♡
……その代わり」

拾う……?
生かして、あげる……?

「3年間だけ、私と一緒に過ごしてちょうだい?
そうしたら、私の心臓……食べさせてあげるわ♡」

何、言ってんだ……コイツ……?
そう思ったのを最後に、結局彼は力尽きて再び気を失った。

 

……久々に感じたのは、ふかふかと心地よい布の感触と、優しく包むような暖かな陽射しだった。

「…………え」

ガバッと勢いよく跳ね起きて、自分にかけられた柔らかな布団に一瞬幻覚かと疑った。もしくは、死んでいるのではないかと……
だが勢いよく起こした身体の節々が痛んで悲鳴をあげている。夢ではない。そういえば、己の身体は傷だらけだった。

「(治療までされている……?)」

丁寧に巻かれた包帯や塗られた軟膏の匂いに頭が冴えて、ようやく彼は辺りを見回した。

「……どこだ、ここ」

静かに呟かれた言葉は清楚で質素な空間に吸い込まれて消えた。
どうやらどこかの民家の一室らしい。
自分の身体がしっかりと動くことを確認し、彼は寝かされていたベッドから立ち上がった。

「(何も無いな……)」

ここがどこでどんな場所なのか推察すら出来ないほどにその部屋は殺風景だった。
あるのは簡易的なベッドと、書き物机と小さな照明。そして数冊の本。
雑に積み重ねられているその本たちはどれも花や薬草に関するものだけだった。

「(……確か、気絶する前に)」

サッと軽く部屋の状態と自分の状況を整理して、彼はいよいよ慎重に部屋の入口の扉に手をかけた。
鍵は、さも当然のようにかかっていない。捕まったでは無いのだろうか……
そのまま軽く力を入れて扉を押して、ゆっくりと部屋の外へと足を伸ばした。

少し広めの空間、談話室と言うに相応しいくらいのこじんまりとした部屋のその片隅……
大きめの1人用ソファにゆるりと腰をかけた、ラベンダーピンクの髪の女がそこにいた。
片方の肘掛に重心を寄せて、膝上に広げられた何かの本に軽く目を通していたのだろう。
直ぐにこちらに気がついた女はニコリと柔らかく微笑んで「あら、おはよう♡」と話しかけてきた。
……恐らく“普通の状況”であったら、その笑顔に対して何を疑うことがあっただろうと思う。

「具合はどう?随分と傷だらけだっ「何の真似だ」た…………
……何の真似、とは?どういうことかしら?」

「んー、私何か悪いことしちゃったのかしらねぇ……?」と人差し指を頬に当てて首を傾げつつ、視線を遠くへ投げる女の呑気な動作に苛立ちを覚えた。
何をとぼけたこと……っ、

「アンタが……!あの状況で、俺のあの発言で……!!
その上でなんで“生かしてあげる”だなんて真似をしたんだと聞いたんだ……!!!!
……何が目的だ。俺が気を失っている間に毒でも盛ったか?それともまた別の“呪い”でもかけたか?
“アンタら”が何をしようが、どういう手を使おうが、俺は“あの子たち”を「まぁまぁ、落ち着いて?」……っ、どの口で……」
「身体の傷に障っちゃうわ……?1から説明してあげるからそこに座って?無理しちゃダメよ」

そう言って指先で示されたのは、女が居る位置からローテーブル挟んだ真正面にある……これもまた1人用ソファだった。
確かに女の言う通りで、正直立っているのは今の身体に負担だった。
だが、その女の指示通りに従う方が俺にとってはリスクである。

「…………」
「…………」
「………………」
「……………………え?立ったまま聞くの?
お話、長くなっちゃうと思うけれど……」

「なかなか動かないから、私の話を聞き取れていなかったのかと思っちゃったわ」と、少し目を見開いて驚く女に、「アンタの指示に従う方が“危険”だろ」と当然のように返答する。
女は困ったような表情を浮かべて「あなたがいいなら……」と、ありもしないだろう同情の視線を向けられて、それもまた苛立ちを覚えた。

「さて、どこからお話しましょうか」
「3年間もアンタと過ごすのはお断りだ」
「あら、そこからでいいのね。別にいいけれど……
まぁまぁ、そんなこと言わないで?アナタにとって悪い話じゃないと思うわ?」

3年も待つ、そのどこが悪い話じゃないと……?
この呪いの“重さ”が、この女に分かるわけが無い……

「俺が3年間も黙って何もしないって、何故言える?それを約束出来ると思ってるアンタ、おかしいんじゃないか?
……今、無理矢理アンタを喰ったっていいし、俺にはそれが出来るのは分かってるはずだ。俺はアンタを……」
「あらやだえっち♡」
「は…………?……あ!?!!
いや、そういう意味じゃなくて……!!」
「ふふふっ、可愛い反応するわねぇ?
嫌ねぇ、分かってるに決まってるじゃないの坊や♡
お・馬・鹿・さん♡」
「(腹立つなコイツ……!!!)」

クスクスと笑うこの女は俺と真剣に話す気があるのだろうか。
一向に話が進まない。進める気があるのかすら分からない。
怪我と体力不足が著しいからか、軽い目眩を覚える。
人と話すのは、果たしてこんなにも疲れるものだっただろうか……

「…………もういい、アンタの言い分を聞く」

……どうせ、殺そうと思えばいつだって殺せるのだから……

そんな思惑を抱いていることは、この女もとうに分かっているだろう。
それでも警戒すら見せずに余裕をもって接する女の、底知れない実力を考えた。
もしくは恐れを知らないだけなのか……

「自己紹介からよね?私はディティリアと言うの。あなたは?」
「…………」
「あらもう困ったわ……。よっぽど警戒されてるのね私……
親御さんに、“知らない人には名前を教えちゃダメ”って言われたことをちゃんと守ってる人、初めて見たわ……成人しているわよね?」
「バカにしてんのか」
「うふふっ、冗談じゃないの!
はいはい、言いたくないなら言わなくて大丈夫よ」

まるでこちらが宥められているようで、完全に子供のように扱われているのは分かった。恐れを知らないどころか舐められていると。
そういえば気を失う前に“獣人種を初めて見た”と言っていた気がする。
……知らない故の恐れの無さか、無知は罪とよく言ったものだ。

「(知らなくて当然だろ……俺も未だに魔女をよく知らない)」

じっと、“ディティリア”と名乗った女を観察した。
服装は今まで出会った魔女とそう変わらない、特別貧相という訳でもなく、高級品というものでもない極普通のものだ。
相変わらず素足なのは気にかかるが……
目の色はマンダリンオレンジ、身長はおおよそ160前半と言ったところか。
見た目では30代前半くらいだろうが、結果として容姿からは何もその女の情報や素性を得られそうにはなかった。

「私、あなたのことは知ってたのよ」

女は膝の上に乗せていた本をパタリと閉じて、ローテーブルに置かれていたティーカップを手に取った。
……懐かしい香りが鼻をかすめて、失ったと思っていた心が締め付けられる。

「1年前でしょう?あなたがこの“ウェルダーウィッチ”に来て、“あの魔女”に呪いをかけられたのは……」
「お仲間同士で連絡を取り合ってるなら知ってて当然だな」
「半分正解♡でも半分は違うわね。魔女は孤独だもの……
連絡と言っても、あなたに呪いをかけた魔女からの一方通行の手紙だけ。……残念ながら、仲間では無いのよね……」

「お手紙読む?」女はティーカップのソーサーの下敷きにしていた1枚の便箋をスっと、テーブルの上でスライドさせるようにこちらに差し出した。
警戒しながら数歩進んで、その手紙を少し強くつまんで手に取る。
シワになったそれから雑に手紙を抜いて、したためられた字を追った……

「…………“魔女選別”……」
「あら知らなかったの?あなたあの魔女に……あぁ、“食人の魔女”と言ったらいいかしら……
会ったのでしょう?何か言われなかった?」
「……なに、か……」

チリリと、脳裏に映ったのは、あの忌々しい女の顔だった……

───ねぇ?死にたくはないでしょう?───

───アタシの手伝いをしてくれたら見逃してあげる───

───少し“掃除”を手伝ってくれたらいいだけ───

───簡単でしょう?───


「…………」
「なんだか最近、魔女が増えてしまったみたいなのよね……
彼女はそれが気に入らないみたい。食料も限られているでしょうから分からないことは無いけれど……
強い魔女だけを残しておきたいんじゃないかしら?だから、その選別にあなたが使われているのよ。
彼女、“やりたいこと”があるから……」

要約するとその手紙に書かれていたのは、この森に住んでいる魔女を“13人”減らして、生きるに相応しい強さを持った魔女だけを選別する、と記載された……胸糞悪い文章だった。
生き残りたければ魔女喰いの呪いがかかった白ライオンの獣人種……俺を殺すか、逃げ延びるかしろと……

ぐしゃりと握りつぶした手紙を、女は特に気にすることは無かった。
それどころか、小さな息を吐き出して「……そこの暖炉に突っ込んでいいわよ?後で燃やしちゃうから……」と。
その言葉に返答することなく、俺は手に持ったゴミを暖炉へと投げ捨てた。

「……あなたがどうしてこんな森に来てしまったのかは知らないけれど……
聞いたことなぁい?“魔女の森に踏み入れば二度と出ることはない”って……。有名な童話だったと思うけれど……
あなたの国には無いのかしら?そういうの……」
「…………」
「この森に住む大体の魔女がね、その食人の魔女に支配されちゃってるの。み〜んなビクビク怖がっちゃって……
昔は違ったのよ、昔はね……。」

女は少しだけ憂いを帯びた目で手に持ったカップの縁を指でなぞった。
それから、ハッと思い出したかのように頬に手を当てて「あらあらゴメンなさいね私ったら」と、誤魔化して笑う。

「お話が脱線しちゃったわね。
そうそう、それでね……その食人の魔女に呪いをかけられたあなたのこと、助けたいと思ったの」
「助ける、だと……?」
「ええ。……私たち魔女の問題に巻き込まれてしまったあなたが可哀想でって……私の気まぐれだけれど、ね?」

少しだけ、ほんの少しだけ感じた違和感の正体は分からない。
そしてこの女の発言の意味も、意図も、目的も全く読めない……
赤の他人何故そこまで、と思うのが普通だろう……?
……そのハズだ。

「だったらすぐに助けてくれよ。
…………俺のために死んでくれ、ってさ…………
……アンタの心臓を喰えば、もう全部終わる」
「………………
………………“美味しかった”?」
「……っ、……え……」

そんなことを聞かれるなんて、誰が思うだろうか。
不意をつかれ息が詰まって、空気の音だけが漏れる。
女は哀れみもせず、また怒りもせず、表情を変えぬまま淡々と問いかけた。

「人って、美味しいとは思わないけれど……
獣人種はそう思うのかしら……?いいえ、きっと違うわよね。
……私で最後、と言ってたわね……?
本当は、食べたくなんてなかったでしょうに……
それを12人も食べてしまって……さぞ辛かったで「アンタに何が分かる……ッッッ!!!!!」……」
「美味かったかだと……?よくそんなことが聞けたな……??!!!
ふざけるのもいい加減にしろよッッッ……!!!」


何が“美味しかった”だ……
何が“食べたくなんてなかった”だ……

“人の命を奪っておいて”、
そんな正常な感覚が、今尚あるわけないだろ……

ひとつ殺すごとに、人として何かを失っていく感覚が……
ひとつ喰らうごとに、己の心臓が、呪いが、“重み”を増してゆく痛みが……



「アンタに、分かるはずがないだろッッッ……!!」


色々な感情が一気に溢れ出しそうで、それを抑えるので必死だったのか……いつの間にか肩で息をする程に、俺の呼吸は乱れていた。
怒鳴り散らした俺に、相変わらず臆することなく女は「……そうね」とだけ短く返答して目を伏せた。

「少し、休憩しましょうか。
まだ外を見てないでしょう?ここが何処か……なんて、森の中だからどこも同じ景色でしょうけれど、少しは気が紛れると思うわ。
落ち着いたら、もう一度続きからお話しましょう」

「部屋にいるわね?何かあったら声をかけてちょうだい」そうしてソファーから立ち上がった女に向けて「……出ていく」と呟いた。
身体をさっさと家の入口へと向かわせて、扉に手をかける。

「出ていくって……どこに?」
「……」
「悪いけれど……
貴方はもうこの近辺から、“3年間は離れられない”わよ」
「……は?」

思わず振り返る。
伏せたままの視線をこちらに向けることなく「外に出てみれば分かると思うわ」とだけ告げて、女は自室へと姿を消す。

「(離れ、られない……?)」

自分しかいなくなった部屋の空気が、やけに不気味に感じた。

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